縁あって志野流香道の門人になって幾年月。
思いがけず香道のみならず稽古を重ねている京都山田松香木店の建替えに伴う香室設計にも携わる機会に恵まれました。
香道と香室 一般的にはなかなか接することの少ない世界と思い、私なりの経験を紹介したいと思います。
至福の香りを楽しめること、季節・和歌・花・自然・物語等々、様々なものを題材にした組香に酔えること、なるほどと一挙手一投足に考え込まれた作法に感心すること、またそれを生かす香室の設えの合理性に感心すること、一見垣根の高そうな香道の世界も中に入れば、理にかなった,人と文化と自然との紡ぎ合いと納得しているのは私だけでしょうか。
仏教の伝来から始まった日本の香り、香道として体系化されたのは室町時代八代将軍足利義政公の世の、東山文化の中心であった東山山荘(銀閣寺)からと言われています。
仏前での供香から源氏物語に見られる薫物に移り、芸道として香道が体系化され六国五味に分類された香りは、江戸時代に入り組香として盛んになり今日の香道に発展したとされます。
組香には内十組、三十組、四十組、五十組、外組他実に多数あり、数の多い分だけ多くの人が長年に亘って楽しんできたことを物語ります。組香は楽しんだ時に記録として年号、日付、参加者、当日の情景が一枚に記されます。
参考までに私達が楽しむ組香の中で,春夏秋冬の季節の組香の記録の一部を紹介したいと思います。

春・夏・秋・冬の組香の記録
さて銀閣寺で始まった芸道は香りだけでなく、連歌、能、華、茶、など多くの芸道が同時期に体系化されたと言われています。当時東山山荘(銀閣寺)には12の楼閣があり、香座敷(香室)は泉水に掛かるところから「泉殿」と呼ばれる「弄清亭」にあったようです。今日資料として絵図が残っており、当時の弄清亭を垣間見ることができます。
絵図から読み取れるのは泉殿と呼ばれる様に東南面を池に張り出し、池に面して縁のある座敷は12帖間、座敷西面に控えの間、寄付を配し、座敷への出入は扉のない2つの火燈口からしていた様です。座敷と控えの間との間仕切はふすまでなく壁で、志野折の絵柄が描かれていた様で、床廻りは簡素。
絵図は香室の原型を現していると考えるのが良いかと思いますが今日の香室は変化しています。
今日の香室は現存する(当時とは異なる)銀閣寺「弄清亭」と志野流香道二十世家元蜂谷宗玄宗匠の香室「松隠軒」の二つが手本です。その手本を生かして設計したのが、山田松香木店内にある「向蒼軒」。
和室10帖、東南面は縁、本床、違い棚のない脇床、地袋付書院、訶梨勒、霊糸錦を掛ける柱、控えの間6帖、香室と控えの間はふすま、そして奥の間8帖。この大きさ組み合わせは組香と楽しむために丁度良い大きさです。床の間には時節に応じて挿し枝が飾られ、香元、執筆を含めて10名程度で組香を楽しみます。
今日では畳、正座、ではなく気軽に香りを楽しむのに、本席とは別に立礼席も好まれます。向蒼軒には立礼席もあり両方で楽しむことが出来ます。
香道と香室、いつの時も組香を楽しむため香室に入る時には心地よい緊張感が生まれます。香室内では私語を慎むことにもありますが、ピンと張った静謐さを感じます。
雑念を払い無心に自然の香りに接する時、幾百年も経た香木と対話できるような気がしています。
香 室 
立礼席

香道と私
京都観香(宝島社)掲載写真より